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凄井 宇座子 (すごい うざこ)

ニックネーム: 四方八方不美人
必殺技: シャイニングウザード
(シャイニングウィザード)
得意技: 漬物石落とし
(地獄バックドロップ)
ウザガルト・クラウジョン
(エメラルド・フロウジョン)
卍固め
フック掌底

経歴: 前身団体時代に最強熟女集団『武者逝(ブシャイク)』の第1号選手として登場。これまで女子プロ選手=美形のイメージが多かった業界で、「ブサイク」「熟女」という真逆の要素を合わせたこのユニットが異色の存在感を放ち、加成肝子とのタッグ“ウザ・キモ”で幾多の他団体に出場した。

その後多くの団体が活動を休止し、PXFリング内での活動のみとなった後も主力選手の筆頭として君臨。次世代の選手が次々台頭していく中でも肝子とのタッグは最強の座を譲らず、『ETWU』で貫禄の優勝を果たす。

肝子、紀所ら同期の選手が別ユニットに所属し敵対する立場が多い中でも自身は団体の主流派に居続け、選手の大量離脱という苦境に立たされた時も一人残留を決意、団体への強い愛情を注ぎ、CEOから絶対の信頼を寄せられる。

その後『ノーザンクロス』でモウバーサン率いる反PXF軍に敗戦したことにより団体乗っ取り、CEOの失踪という厳しい苦境に立たされたが、ブラック・ジャガーらの救援により“解放軍”として気持ちを新たに団体の政権奪還を決意。ファイトスタイル更には旧団体時代から一貫していたコスチュームも新調するなど大幅なチェンジアップを図る。

だがモウバーサンからオバンバ政権への勧誘を受けた際、天敵であった阿峰との和解、失踪と思われていたCEOとの意外な形での再会により心は揺れ、考える時間を欲しいという理由で試合を欠場。そして答えを出し復帰した『エクセル・スーパー・タッグ』では、解放軍リーダーの座を捨てオバンバ政権の新メンバーとして出場を決めた。

その後もオバンバ政権の主力として活動していたが、自ら抜けた後の解放軍は皮肉にも勇麗會の登場等で勢力を増大させ、オバンバ政権すら脅かす存在に。それからは“疫病神”扱いされモウバーサンにもジャガスキーにも相手にされず、行き場を失くした中で『勇麗會』の柳から勧誘を受け、引き寄せられるように加入する。

居場所は見つけられたものの、同ユニットではNo.2に甘んじているのもあり、かつての看板レスラーとしての存在感はすっかり消えてしまう。だが"S"Aliceへの参戦などから徐々に本来の調子を取り戻し、『UMF』では武者逝時代を彷彿させる激闘を連日繰り広げてユニットの優勝争いに貢献。

これが後のPXFベテラン勢活躍の立役者となり、トップ戦線への完全復帰をアピール。次代を担う若手達へ再び大きな壁として立ちはだかり、勇麗會解散後は『チームX』に所属。自身も共に戦おうと呼びかけていたジャガスキーや肝子、紀所と同メンバーとなり、かつて結成していた『レジェン女軍』を再現。

アンチエイジングを提唱し、メンバーも共に全盛期あるいはそれ以上の活躍を見せ、5人が出場した『スーパー・タッグ 6×4』で優勝。次大会開催発表の場で宇座子、紀所、ジャガスキーがモウバーサンを病院送りにし、レジェン女の新・団体ボス就任を宣言すると、『3DeS』でも若手に圧倒的な力の差を見せつけ余裕の2大会連続優勝を達成。

もはや団体はレジェン女1強時代に突入し、大会名にも『WE ARE LEGENJO』と自らの名を冠し、マゼス、コラークらによるレジェン女討伐軍の挑戦を受けて立ち、当然の如く勝利。しかしジャガスキー、フケテンネンと出場した『SIX−WOMEN2』ではまさかの予選敗退という結果に終わり、肝子がタイトルを流出するなど軍団の勢いは急速に落ちてしまっている。

特徴: かつてコスチュームを一新した際にスタイルも大幅に変貌。キャラクター的にまず使うことはないだろうとされた過去の流行技・シャイニングウィザードも『シャイニングウザード』として必殺技に装備。飛び技、蹴り技に縁の無かった彼女からは想像つかない強烈な威力を秘めている。

それと同時に隠れた切り札として使っていた『卍固め』も、正式な得意技のレパートリーに昇格。ロープワークから走り込んで技に移行する変則的な決め方も混ぜるようになり、『漬物石落とし』も同様にランニング式を習得。意味があるのかは謎だがもともとのストイックな攻めパターンにメリハリを加えている。

試合終盤で攻勢な時に見せる“ウザい”腰クネダンスによる挑発は今も昔も健在だが、初期の得意技だった『こんぴら山ジャーマン』『キャプチュード』は封印中。

コメント: ファイモニ活動時代、他団体との対抗戦では能力差による惨敗が続き、ならば憎たらしい風貌と強さのオリジナルキャラを作ってしまえ、と思いついたのが宇座子と肝子です。当時は他団体選手のパラメーターやロジックなども研究し、納得のいく勝ち方ができるまで必死にテストプレーを重ねていました。

そうして出来上がった宇座子・肝子を自信を持って対抗戦に送り込み、常勝とはいかなかったもののある程度満足感を得ると、武者逝の所属選手を次々作成。団体で最も力を入れたユニットとなり、当初の勝利至上主義から内容を楽しむ方向へ転換。現在のPXFとしての活動に至ります。